自分の階段の上がり方。

コーチが研修講師をしています

あなたはそのままで、誰かを幸せにもできる。

たった今のできごとから。

 

数分前にとある男性と初めてお話した。

 

その人はお店を立ち上げて、

寡黙に一人お客さまに対応する一見普通に大人しい方に見えるがひょっとすると少し不器用であるかも知れないそんな方だった。

 

初めてお話するのに失礼かとは思ったがつい、

職業からか普段がそうだからか彼の夢や目標、

これまでの壁やここからの事を伺う流れに自然と

なった。

 

するとその過程で感じる独立した者なら誰しも経験

するであろう不安や壁、そして予測していない様々な

出来事について今の気持ちを話してくださった。

 

せっかくなのでこれまでの行動と在り方について

正直に感じた事を通してアクノレッジし、

その上で考える在りたい姿について伺うことに。

 

彼は時折、

共感の嬉しさや今後のビジョンを改めて描く楽しさ、

そしてここから未来へ向けて逆算し今を再構築していく事に刺激を少し受けられたのか表情が数十分前に比べとても明るく豊かで温かいものに。

 

精算を済ませたとき、

彼は咄嗟に何かを自分からも…と思われたのか

店内に飾ってあった向日葵を一輪持って帰りませんか?と仰った。

 

それならばと僕はその場で彼の写真を一枚だけ撮り、すぐさまチェキでプリントし彼にプレゼントした。

それはその時間をたまたまプレゼントできた僕も、

なんだか人として温かい気持ちになる気がした。

 

翻って、あなたがやりたい事でこんな気持ちになる

ような(自分にとっては普通に)できることって、

なんだろうか。そしてそれをもし突き止めることが

出来たら、それを日常の時折にギフトとしてやって

みるとあなたの人生はどう微細な変化をそれは

もたらすだろうか。

 

ぜひ、誰かにそのギフトを贈り届けて欲しい。

 

…彼はその、

豊かな表情で改めて今後のことをたぶん、

いまごろ描いているのかも知れない…さっきよりも

明るいイメージで。

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相手の「お目に掛かる前まで」を想像する。

人それぞれが、

今日も恐らく自分の生きたい時間を

選んで生きている。

 

仮にそれが”やりたくないことなんだ。”としても。

イヤだと言いながら、それをする(しない)路を選ぶ事で、必ず何か得ているはずだからだ。

 

何かをやらなくて済む、恥をかかずに済む、

挑戦しなくて済むとか。

 

それでいて

「自分は思い通りに生きられていない」というのは

自分に失礼というもの。

 

もしあなたがそうなら

ちゃんと『実は意図をもってそうしている自分』を

あっさり認め、

このブログ読了直後からあっさり変えてみては

どうだろうか。

 

あ、やっぱりこっちだな。

そう思うやりたいことへ準備を含めた行動に換えて、

関わって欲しい人に会おう。

そうすると自分の時間を大切にするように、

相手が会ってくださる迄に調整など

してくださった時間に経緯を表せるはずだ。

 

何かを終わらせたり、何かを準備してきたり、

場合によっては今日ここでお目に掛かることのために色々と想いをもって直前まで試行錯誤や想定しながら

いらっしゃった可能性が、その人物の年齢や人格、

個性によって十二分にあるからだ。

 

お互いにそうして人生の交差点で一瞬出会い、

互いにオーディションし、

その後関わるかどうかを決めている。

 

人と会おう、

そして準備という名の「いくつかの引き出し」を

備えておこう。

 

名刺という(拳銃の)玉をスタンバイしているように、何事にも見切り発車も推奨するが同時に少しの段取りをやっておこう。

 

機会は少しの準備をした人にやってくる。

毎日は幸せとチャンスで溢れているのだ、

間違い無い。

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このブログタイトルを意識すると。

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今日は平日だけど、結婚記念日。

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式と披露宴をした日も記念日にしてる。

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文字通り、派手さは無くてもいいから

大切にしていこう。

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いまここが、以前自分が思っていた

「将来は…」の将来そのものなのだから。

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『実は』手にしている幸せをいい加減に

認めてしまおう。今を否定する人に、

ある意味で将来の在りたい姿は訪れないから。

自分なりに暮らすこと

仕事を終え、

帰宅すれば今度は家の「やるべき事柄」がある。

 

朝の忙しい時間に出来ていなければ掃除機かけ&簡単な片付けから始まり、晩ご飯の支度に子どもが居れば食事に宿題あすの準備とお風呂に入ってもらい、その間に洗い物と洗濯物(乾燥機)を済ませつつ明日に備えて炊飯器を仕込むとか。

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自営であれば、その後の深夜と早朝明け方前にまた仕事があるというのが一般的だろう。時間の経過はあっという間、お客さまやお取引先、協力先からの各種リクエストのメール群に対応しつつ、目の前のための活動だけではすぐに行き詰まる独立組独特の文化。物理的に忙しいのは当然であり、そうでなければ早々に消え去っているのが自然な(色々な業界における)プロの世界。

f:id:JapanCoachSakai:20170406214138j:plainしかしだからと(物理的に忙しいからと)いって、

心まで忙しくする必要はない。

 

仕事だってポモドーロテクニックに限らず、

きちんと休憩をいれるものだ。

自分がやりたい事を仕事中にやってしまおう。

それが業界の常識のタブーであっても。

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今日も一日あっという間だったろうと思う。

自分らしく過去最大我が儘に今日はオーナーシップをもって生きただろうか。

「これ(本当に)したい」を大切にしただろうか。

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身分相応(だからといって自己卑下する事とは違う)に、自分へのご褒美を日常にもってもバチは当たらない頑張りを…今日も貴方はあなたなりにしたはずだ。

 

 

勝手にこんな事を自分で自分に決めていないだろうか?

 

「ご褒美は、あとにとっておくもの。」

 

それを待っているうち(とっておいているうち)に、

人生は突然”照明が落ちる”と知って居るだろう。

 

誰も文句は言わないから、「言われそうな気がするだけ」だから、大丈夫。

 

ただ、度を超しすぎて『身分不相応』は自分が無理をするから注意。

 

 

その昔、背伸びしすぎて二十代も生きていた。

だから未だに僕ぐらいの身分にこんな葉書が

いまだに届く。

 

現実は二十代の頃にヤフーオークションでかった中古のSEIKO時計だが、気に入っている。

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「これ、本当に、すき。」を大切にしよう。

もれなくその瞬間から「成功と幸せ」が

貴方の元へやってくるから。

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意外にやらない「前へ」の進み方。

今日は全国的に花粉がとても多いそうで、

洗濯物は乾燥機にしようと判断した境英利です。

 

さて、早いもので今年も4月という一年の三分の一を経過する月まで時間があっという間に経ちました。あとはこれを2回繰り返すと2017年も終わるのですね。

「焦らず少し急ぐ」位で慌てず今日楽しみましょう。

 

 

さて、表題の件ですがシンプルです。

以下の手順でこのことを実際にやってみてください。

 

①机上を片付ける

(何かに放り込むだけでとりあえず大丈夫)

②白い紙(印刷が薄ければ裏紙可)と

「書きやすい(これ重要)ペン」を置く

③以下のABCに答える(書き出す)

 A.これからどうしていきたい

    (orどう在りたい)?

 B. なんのせいにしている?

 C. 本当はどうしたらいいと

   知って(分かって)いる?

 

…あとGO!である。Cの段階で

「できそうなこと」

    馬鹿にせず今日始める。

 

 

どうしても逃げてきた人って、Bの行為で何かをしなくて済むなどのメリットを享受しているはずだ。いまブームの最上位概念は『めんどくさい』なんで(笑)。

 

今日はここまで。

 

今日もあっという間に午前中が終わるよん

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背骨が無いひとは、いつも何かある度に「反応」し思い悩む。

可能な限り、手短に。

 

背骨が無い人は、何かある度に悩む。

基準がないのだ。

 

もっというと境界線も無かったりする。

 

そりゃぁ、心が忙しいかも知れない…

気持ちが忙しいと人にも自分にも優しくなれなくなると思う。

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あなたにとって本当に大事な事モノ人はどれらだろうか。

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「あ、ちょっとまって。

   それ、この後にするから。」

 

 

 

待っている間もしくは、待っていてもらっている間にチャンスは無くなることが案外多くは無いだろうか。

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あなたにとって大事な対象に集中しよう、少しくらい

「え、あの人、こんな事するの?

   (言うの?)」と思われたって。

 

 

そして心躍る方へ

この瞬間からシフトしよう。

 

想像力を発揮して、

創造していける未来は楽しい。

 

 

 

 

子供の頃の想像力はみな、

ものすごいものがあったはずだ。

 

かくれんぼをしていて、草を持って「草の陰に隠れている」つもりだったりする。

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格好付けてブレーキなんかするな。

 

例えば子どもとの時間が大切なら

「がっつり」関われ。

 

そんなに実は支障は無いどころか、

その後「やるべき事」に従事した時の

パフォーマンスは丸で違う事に気付くだろう。

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ただ気を付けよう、(心が)わくわくする「やりたいこと」であって、何かの逃げからやる娯楽は単なる逃避行動で生産性は上がらない、成長や気付きも起こりにくい。

 

 

 

そしてその好きで得意ことを通して誰かに全力で貢献してあげよう。ちょっと勿体ないかな…くらいで丁度良い。

 

求められたら、喜ばせてあげよう。

実際は大した事は要らないはずだから。

 

 

ただ、あなたが我慢することで相手に関わる「いい人」になる事を目的としたものは如何なものか。

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今日もまた、

一日分の命をあなたも私も使いました。

明日はどうしますか?

なぜか自然と上手くいく”方法”って。

営業していない、宣伝していない、広告を出していない、ホームページを作っていない、協力など何か要請・依頼していない、新製品をパッケージ化していない、その分野の勉強を「まだ」していない、資金が揃っていない…上手くいかない理由を考えてみると色々でてくるのかも知れない。

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(おいしいよね、これ(笑))

 

何かただ時間だけが経過してしまっている実感がうっすらある人って、以下の二つの理由を僕は想像してしまう。

 

 

・事が前へ進んでいない原因や理由を外部や環境や自分の状況がこうなのでと理由にするも実は行動する事が面倒くさいので、言い訳を言って「仕方が無い」と言っておけば楽という事から『直面しないで済む毎日』を目標達成してしまっているあんた。

 

・いざ動き出してしまって上手くいかなかったときに格好悪い又は恥ずかしい、みっともないから格好付けてるだけの本当は格好悪い人という事実と直面しないおまえ。

 

 

僕は普通の人…いや普通以下の人で知能も低いのだろう、賢くは無いと思うのでただただ思いつくことを色々やってみて沢山失敗ばかりする。ほぼ失敗失態の人生が今も続いている。打率は悪い…つまり分母は大きいが分子も少しずつ上がっていくと信じて生きている。

 

いいのだ、ある意味で潔く仕方ないを

受け入れている。

 

この年になるともう、自分の”そとづら”など比較的どうでもよくなってき始めていて、それよりも妻の今がどうかを深刻一歩手前の真剣に見たくてみるようになってきている。

 

ただここで、一つの信念がある。

 

それは闇雲に数を打つのでは無く、突然やってきたチャンスにいつでも乗れるようスタンバイだけは常にしておこうというもの。

 

どういうことか。

ある日突然に機会が訪れたとき、

それを受け取ると最初から決めてかかっている。

以前の自分は

「状況が整ってから…(すごい自分になってから)。」

とか思っていた。

 

それが間違いでも来たと言うことは、やっぱり「今ここのタイミングですよ」ということだ。

 

勿論、これに感謝しながら乗ってみて、大恥をかいて、かつオファーしてくれた方にも

とてもとても申し訳ない事態に先般もなってしまった。とっても後悔した。

でもいいんだと。あのタイミングで恥をかくことが必要だったし、僕が期待に応えられなかったことで他の出演者が「すごいね、やっぱり。ちゃんとしているな!」と際だって役立った(笑)。

 

そんな自分も、自己卑下せずに自身だけは自分を(承認しないが)受け入れてあげようではないか。今の貴方に置き換えればそれは、社会的に問題を起こしてしまった過去のある貴方かも知れないし、誰かの人生に致命的なダメージを与えてしまった事のある貴方かも知れない。

 

じゃぁだからといって、「もう終わりだ」とか「俺なんて所詮」と貴方が死ねば良いのか?ふさぎ込んで引きこもりになって、世の中から存在を消してしまえば良いのか?惨めになってそれを世間に開示して「ほら、”やっぱり”こんな惨めでしょ、私って。」とある意味での『自分の正しさの証明』をできればおまえは満足なのか?

……

 

ばーか

 

 

である。それでもどこかで何か方法がないかなぁ、どうにか少しでもよくなるといいなぁ、回復していけると良いなぁなんてささやかに期待はするだろうに。

 

誰も最初からあなたを誠実できちんとしていて、ちゃんとしている人だなんて

実はあんまり思っちゃ居ないし、そもそもあなたに世間はそもそも興味もほぼ無い。

誰か「(実際には)居ない」(多くの、と思い込んでいる)人達の目を気にしすぎじゃ無いだろうか。

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そう、そうやって沢山車が左右から走り行き交う押しボタン式歩行者信号機の前でずっと「行けないなぁ、タイミングずっとこないなぁ」と心の中で呟きながら歳をとってしまうのではないか。近所や知り合いの子どもの年齢をみたらどれほど時間が経ったかすぐわかるくせに…わ、あんなに大きくなったのか!って。

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まずは「私は前へ進むし、渡ったあとの『素敵な気分』を受け取る」と決めよう。

そう、押しボタンを最初に押していないと路は拓けないのだ。

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そういう意味で

あんまり格好つけないほうがいいかも知れないね、

残りの人生って改めて思うとさ。