自分の階段の上がり方。

コーチが研修講師をしています

気付いたら、ずっとやっていることにヒントはある。

やる気…があるとか、ないとか。

 

自分は集中力があるとか、ないとか。

 

何かをやってもわたしは続かないとか。

 

 

バラバラに出来事だけを見ていると、なんだか自分で自分の可能性を

勝手に決めてしまう時がある。はたして、それは本当にそうなんだろうか…

ちょっと気になる。

 

今日ぼくはこうして、夜21時〜仕事で「やるべきこと」を目の前に

…しかしつい見始めてしまったコーチングに関する記事とコラム、論文に気付けば

25時を回っている事実に驚いています。もちろん、時間が経過していたのは分かって

はいたんですが…つい、そのまま「読み」に入ってしまった。

 

私は文章を見るのが苦手なはずなんです、教科書や本を見るのも嫌いなので。

でもコーチングに関する「体験」に纏わるコラムだけはどうしてか見始めるとつい、

時間が経過してしまいます…やっぱり好きなんでしょうね。

 

面白いことにこれらの記事、どれだけ読んでも、何度も繰り返し見ても結局は

覚えることが出来ずに、咄嗟にも思い出せずに役立てることができません、

時間の無駄だと捉えていくとこれは酷い真実です。

 

ここ7年もの間に受けたストレスで記憶障害と言っても過言ではない程の、

日常生活にも支障が出るような記憶能力状況の私が、そんなもの読んだ所でさて、

どうにもなるものか…といった状況が現実にあります。

 

覚えきれないのにでも、やるんです。

滑稽な話ですがここに「その人の(まだ見ぬ)本領発揮」のヒントがあります。

 

翻って、では僕は何故これらをずっとついついやってしまうんでしょうか?

いやらしい話、僕は記事をコラムを論文を読みながら、誰らかと会話・対話して

いる最中の突如現れる「この時にこのエピソードを適切に提示できたら、人を

好意的な意味で触発させることができる」という嬉しい未来を想像しているからです。

 

もちろん、それは簡単なことではないし、上手くいかないことばかりかも知れない。

でも、そんな気分を味わいたい、想像から感情を先取りして楽しむ自分がそこに確実に

居て、ワクワクしているんだと考えます。

 

これが分かると、手の打ちよう(アクション)の幅が広がります。

【どうすれば、それがより確実なものとなるだろうか?】と考え始めることで。

 

これは(最初の探索、発見する段階では)娯楽でも習慣でも行動でも…多様なもの

であって構いません、それらを繰り返すもしくは続けてしまう、他の音が聞こえなく

なる、他の背景が見えなくなる(集中してしまう)、そんなもの(行動)って一体

どんなものがあるでしょうか、もしくは過去にあったでしょうか。

 

「自分を発揮する」方法が分かるかも知れませんよ。

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