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自分の階段の上がり方。

コーチが研修講師をしています

自分を方向づけるもの。

「この選曲は、境社長がされたんですか?」

 

研修の休憩中にひとりで音楽を楽しんでいると、少し離れた所にいらした

受講者の方が質問してこられました。

 

何気なく「あぁ、はい。音楽好きなんですよ」と返したのですが、

そんなことよりもこの問いかけで「あぁ、そういえば俺って社長だったな」と

認識し直した自分がそこに居ました。

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長らく好きにコーチングと研修講師をやらせてもらう日々に、

この自由度とそしてまた「別に組織を拡大して”えへん、すごいでしょ”と

なっても『それで?』としか思わないなぁと考えて居た自分に改めて気づく

こととなった。

 

もしかすると、何かから逃げているじぶんも居たのかもしれない。

例えば、研修中に先生と呼ばせない私がいて、名前で呼んで頂くように

している日常がある。これは「高さ」を作らず横並びで一緒に学んで行きましょう

という姿勢の現れのつもりだがしかし、何か面倒なことをしなくて済む口実として

そのようにしているのかも知れないなと思った。

 

自分は何者であるか。

 

これを明確に”決める”と、必然的にそれに今の自分がふさわしいかどうか

(そこから逃げなければ)直面することとなる。

 

会社を組織化しないことで済むメリットがあるから、それでいいやと。けど、

それをやると面倒なことが増えるから、それを望んでないことにしょう、と。

もしくは先生と呼ばれだすと「もっとちゃんとしなきゃいけなくなる」と何処かで

捉えていて、自らハードルを意図的に下げているのかも知れない。

 

今の若手新人層を「妥協世代」と呼ぶ人がいるそうだけれども、

本当は直線的、直接的に在りたい姿に直行したいはずなのにしかしどこかで、

もっともらしくチャレンジしなくて済む(もしくはチャレンジしない)自分の

”正しさの証明”にはいってしまっている自身がいないだろうか。

 

あなたが本当にやりたいことは何ですか?

 

 

こう問われる質問を考えるとき、僕はいつもなぜか

僕にとって無意識に何かをしている時に自然に思考するといつもと違う

正直な考えが出やすい。

「歯磨き中、シャワーを頭からかぶっている時、etc…」

 

昔、こんな言葉を作ったことがある。

『自分との作戦会議』

多分、それを持てるひと時が僕にとってはこれらの過程なのだろう。

 

今日1日、その問いにじぶんで考えてみようと思う。

きっと、オートクライン※が起こりメリットがセルフサービスで享受されるはずだ。

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