自分の階段の上がり方。

コーチが研修講師をしています

「より多くのことを達成できるひと」って。

急なお電話でのランチお誘いに「Yes.」と応えて、先ほどお仕事部屋へ戻りました。

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私は車を持たないので、お相手のリクエスト先へ一緒に乗せていって頂きました。

その車中ではすぐに近況報告が始まり、まるで以前お目に掛かった時と印象が違う

ことを感じます…どうやら、「あ、これをやっていきたい」と感じたものがあった模様。

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それは、見付かったというよりも恐らく色々な場所へ学びに出掛けたり

様々な人に出会ってみて、その”道すがら”に「みつけた」ように聞こえました。

その心の景色に至るまでには「あっちかな、、こっちかな?それともそもそも

どうしたらいいんだろう???」と思い、悩み、追い込まれるとまでは言わないが

自分でも苦しい期間があったのではないかと想像した。

 

でもそれが、開けた。

違う景色、場所、人、考え方、在り方と出会った。

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余談になるが、「ああかな、こうかな?」とどちらかを選ぼうとしている時にそれは

実は選択肢になっていない。選択肢とは、3つ以上の事を言う。

2つの場合は選択肢ではなく脅迫というらしい。

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途中までは、起きている望まない出来事や、思わぬ事柄と闘おうとしたり、

反発していたかも知れません。

・「私はそんなつもりで今までやってきたわけじゃ無いのに、

  なんでそんな言い方をされるんだろう、状況になるんだろう、なぜ私が…」

・「”普通こんな時はこうするもの”であるのが当たり前なのに…」

 

色々あるのかも知れません、割に合わない目に遭っている状況かも知れません、

世の中は平等とは限らないのでそこを正したいと感じるのも人情です。

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しかしひとは、それら「そのもの事実」を見て感じているというよりも

それに『どんな意味づけ・解釈をしているか?』の中を生きているのが現実。

恐らく今日のその人は、自分が手に入れているもの・手に入れていないものを

流れに任せている状態、つまり「受け入れている」のかなと感じました。

 

多くの場合つい私たちは「こうあるべきなのに」とか「なんでこうでないのか」と

いうことを言い訳しがち、正当化に走りがちかと感じます。とても昔にコーチング

で学びましたが正当化はエネルギーを浪費するそうです。ひとは、たとえ自分にはそうは見えなくても人生は完全である、ということを受け入れる代わりにいかにうまくいってないか、ということを言い訳するのに時間をかけるそう。

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コーチングを学習する過程にあるのですが、

    「物事をあるがまま受け入れるようになると、

        より多くのことを達成できるようになる」ようです。

 

失敗も怒りも、されたことも、やってしまったことも、なった状況も、

起きたことを受け入れ、その後の流れやひょっとすると「お空に」任せている状況

で「居る」。起きた瞬間の「それ」だけでは、結果は分からないし、それだけで判断してしまうようなら結果にしてしまうということ。これは一体この後どんな素敵な事に最終的に繋がっていく出来事としての、前触れなんだろうと捉えると決める。

思えないやれないではなく、受け入れ、今後を楽しむと決断する。

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ここから創れるようになるために

ここまでが、あった。

 

そうなるともう、前しか向いていられない状況になるのかな?と

その方とお話していて感じ、まさに”心のスタンバイ完了”といった表現を私は

心の中で勝手にタイトル付けしちゃっていました。

 

この近況をどうしても伝えたかったそう。

そして私もお話を伺えたことでシンプルに「よかった」と思えました。

やっぱり一度関わった事のあるひとのその後って、悪意無く気になるのです…。

 

私は「受け入れていくこと」についてまだまだ未熟ですが、

皆さんはどうでしょうか。まだ難しいなと思えた方も、私もまだ”道すがら”です、

よかったら一緒に決断していきましょうね。