コーチをしている人生の時間が、あと2年足らずで「人生三分の一はコーチで生きてきました。」と言えるまで時間が流れてきてしまいました。
”ぼやっとしていた”私は、とても時間をもったいない過ごし方できたような過去も沢山あり、その時の期間の事を後悔しそうになる時もあります。
そんな三分の一人生には色々なクライアントさんに対して色々な在り方で関わってみたりしました。上手く行くことよりもうまくいかない事の方が多かったかも知れません。
論理的に話されるので、こちらも論理的な返しをする関わりがあったり、もの凄いスピードで話されマシンガントークがずっと続く方があればそのペースで返していく時や、逆にびっくりするぐらいゆっっっくりな対話を繰り返す方も。
その時々でやりとりでは、たとえば
会話を対話にしていったり、
仰る時に使われている言葉の意味や意図を区別しながら着実に「現場検証」していく関わりであったり、
より話の内容をシンプルにしていく情報整理をしたり…
様々な戦略と意図、時にはコーチの挑戦をもって行うわけなのですが、受けた方の印象(残像として強く残るという意味で)はこちらからの時折発する問いかけが大きな鍵を握る一つ(これが中心ではない)でもあります。なのにこんな時がありました。
その方がいつも(私の当時のセッションが一回当たり30分でした)時間オーバーで75分前後お話になる方でした。ある時、そのクライアントさんに質問をほぼ0で関わらせて頂いた時です。
すべて「それで?なるほど。う~ん、そうでしたかー。それはなにがそうさせたんでしょうね…すごいですねー。
ほぉ、あぁ…」といわば『受け止める』だけで質問もジャッジも具体化も話題の抽象度合いを意図的にあげることも、極端な話なーにもしていませんでしたが唯一、やっていたことと言えば”その人が心地よく話せる(思考を邪魔しない)リズムでひたすら軽やかに本気で聴いた」だけなんですね。
なんとそのセッション、始まって7分半でご本人が行動を描けご自身で「あ、、もう大丈夫です。(行ってきます!と言わんばかりに元気良く)」電話を切っていかれました。
自然に走り出したくなったのでしょうか。
僕は、この切り方をされる時が好きです。
遠くの景色はたまにみた方が(自分がどこへ向かおうとしているのか認識できるので)いいと思いますが、それと同時に場合によってはそれ以上にいま目の前にある障害となっているものを「ねえ聴いて!」の体裁とその流れで「解説」頂くその過程が『より詳しく観察する』事となり、自分で言いながら「あ、そうかー、、、、!?ということは…」に繋がっていき、上記のようなクライアントさんが実際に多く出現するのかも知れませんね、まだまだ私程度では分からない事だらけなんですが。
ただ、人は描けると動ける。
そんな風に昔から自分の体験知を信じています。
あなたも描けるといいですね、
すっきり清々しい気持ちを獲得できると想像できます。
これを見てくださった方の明日も
素敵な一日となりますように。