わかってほしい→分かるわけないんだよ。
世の中には色々なニーズがある。
例えばタイトルにある「分かって欲しい」というニーズ。
さて、その気持ちは本当に実現するのだろうか。
今日は気が短い?日なので(笑)、
簡単に言うと
その時相手になんて言って欲しいだろか、どうなってほしいだろうか。
分かって欲しいということで…
「う〜ん、わかるわかる、
私もそう感じた、そうだよきっと!」
と言って欲しい?のか。
なんかすっきりしないのではないだろうか、ほんとの所は。
素直にその台詞、受け取れなくない?なーんて思うわけです僕は。
その気持ちが創発された時点から実はどこかで自分自身も
ちゃんときちんときっちりと分かってくれるなんてことはないだろうと
思いながらも発信しているんじゃなかろうか。
だからよっぽど、
「そっか…そう●●●●●(思うんだ、思ったんだ、考えたんだ、感じたんだetc...)、、」と意見は例え違う場合があったとしても、
その違いを認めつつ感じた事実を判断評価せずただ受け止めてくれるほうが
聴かれた感じ(≅あなたが今日もそこに自分なりに生きてみようとしていることを
知りました・知って居ますよ)がするのではないだろうか。
あなたにとって、そんな人は誰だろうか。
もっと言うと、「こんなふうに関わって、10分だけ。」なんてリクエストを
あなたが「きいてほしい」と思っている人に伝えてみては如何だろうか。
それをセットアップなしでいきなり始めると、
相手と相手の状況によってはどうだろうか。
かまってほしい、も似ている感じがしてきたな、なんとなく。
人は接頭語を省略しがち。
それが無いばかりに、誤解を生んでしまうのも人間。
せっかくだ、言わば「心の接頭語」を付けてからコミュニケートしてみては。
朝や一日のスタートから面白い流れに変わるかもしれん…。
だって、この世の中は
「自分の出方を変えれば、相手の出方も変わってくる。」のだから。