自分の階段の上がり方。

コーチが研修講師をしています

見逃していたのか、感じられる歳になったのか、それ以外なのか。

今日の熊本は、

また大量の杉花粉が飛んでいるそう。

 

子供たちも遠足に

「マスク必携」と連絡が。

 

昨日聴いた話によると、ゴルフをしていて肩に花粉が溜まってきていたそう。

連日の”花粉日和”は、春の訪れを意味しているのかも知れません。

 

 

遠足繋がりで、お弁当に苦心する妻。

せっかくなので僕のお弁当も作ってくれたのがこれ

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ランチがとても楽しみ。

 

ここに書くべきか、僕がどうにかしているのかも知れないので瞬間だけ悩むが

幸せが瞬間をまるで心のシャッターチャンスをiPhoneの「Live Photos」のように

掴み感じ取るようになっている。

 

無論、以前から幸せな状況などはその場にあると知ってはいたんだけれども

(分かっていたつもり?)どう言えば伝わるだろうか、、”本当に”いまここの瞬間を

以前よりはリアルに感じ味わうようになってきているなと思うのです。

 

人間の三大欲求も随分無くなったがしかし目の前で起きている何気ない幸せを、

とても落ち着いて感じる事が可能となった。娘たちの何気ない姿が(表現がきついが)天使のようだし、妻と食事を楽しむ時も(独身の時からそうだけど)可愛らしい瞬きをじっくり見ることができたり。

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これらの事は一体いつから何をきっかけに起きることとなったのか?

 

合っているかは分からないけれどたぶん、

「すごい人」(他の誰かであったり、できる自分であったり)になる事をやめたから

なのかな?と仮説が立っています。

 

こんな自分ではダメだ、もっと知識を技術を実績をと思っていました。

(まだ少し思ってるけどね^^;。)

 

でも、もういいやと。

それは”その前に”今の自分を否定しているから

 

「辛い今ここ発信」

 

になって、悲壮感漂う人には幸せな景色を幸せに写す鏡として機能しないなと

思ったわけです。

 

そう写すということは、自分もそう思うようになる(捉える)ということ。

 

変えていこう!と思う根幹が

 

「変えなきゃこれ(自分)じゃダメ」

 

とあるのか、

 

「昨日までは世間様沢山の方に大迷惑だったけれど、これでも結構喜ばれるし、

楽しんでくれるし、愛されるし、なかなか面白い仕事してるし、今の自分で十分な

部分も結構あるんだと思うんだ、うん、あるある、あるという事にしておこう(笑)」

 

と、そう思う事にするのか。

 

この「変えていこう」とただなんとなく

一人でやるだけのこと、

とても勇気の要ることです、たぶん。

 

なんかね、得体の知れない不安と言い訳が

押し寄せてくるの。

 

自分に対して、どんなイメージを持っているか。東京でマーシャル・ゴールド・スミスというコーチが来日した時、そんな話をしてくれました。

 

翻って、人生や仕事人生、そしてその両方を”上手くいっている”人達は、

やはりこの自分にどんなイメージを持っているかが明快だった。

 

 

 

今、コーチする際にここを手始めに手を付けませんか?と提案する機会が増えている。

 

まるでその後のパフォーマンスの向上度合いが違ってくるのと、シンプルに笑う回数が増加してあらゆる方面で好循環を生み出すと信じているからだ。

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否定されずに聴かれる環境を自分の投資で確保し、未来を待つのではなく計画し行動していく人々の姿はやはり颯爽としている。