自分の階段の上がり方。

コーチが研修講師をしています

今世紀最大わがままに生きてみるステップが、社会貢献になる。

親孝行を出来ていない…そんな事を考えてみても、時間だけがただ過ぎて行ってしまう自分を「これではよくない」と思い否定し、けどまた「前に進まない」と否定する。

 

そんな事柄に似たエピソードって、みんな他にも沢山あるんじゃないだろうか。

 

誰かにこれができていない。

これをずっと持っていると、疲弊する気がするのは僕だけでしょうか。

 

いま、世の中そのものが

「”経済活動上で”活躍していない

  できない人を役に立たない人」として

批判したり序列化して下に見たりする風潮が普通になりそうな雰囲気。

 

その物差しを何も疑わず当てられていると、

 

・私は出来ていない人

・自分はこれをしてはいけない

・僕は価値がない

 

と…なんだかそれで人の何かが決まってしまうような、思い込みが強化され

そんな自分という目標達成をしてしまう想像を僕はしちゃいます。

 

人にはどんな状況や環境であれ、みんなに尊厳があるはずだ。

 

その尊厳は、人に認めてもらう事を待っているのもいいがまずは自分が自分を

大切に生きてみることで行き着いていくのって良いのではないか?

なんて思うのはちょっとおかしいかな。

 

今回の結論をここで言うと、

貴方が幸せに生きている事が実は、

誰かに何かをしてあげることが出来た事よりも、親孝行であり社会貢献なのだ。

 

あなたが楽しそうであればそれを見た人の何割かは幸せになったり勇気を貰ったりする。

 

もちろん、ひけらかせばムカつく人も出てくると思うけど。

 

あなたはあなたの幸せを大切にしていい。

 

今世紀最大わがままに生きてみるステップの最初は、ちょっと勇気の要る事をちょっとだけやってみるである。

 

今朝さきほど僕は洗濯物を干しながら、

マンションの隣の住人に迷惑にならないかな?とドキドキしながら二十年以上前からよく聴いている槇原敬之さんの曲をベランダに向けて「ちょっとボリューム、、少し大きいかも??大丈夫か?」と思いながら

聴いていた。ばかみたいに小さい事でしょ?でもこんな事、したこと無かった(笑)。

 

昨夜も面白い体験をした。

 

人生を楽しもうと決めた。

そこで、夕飯時の会話も楽しもうと決めた「態度」で過ごした。

すると暫くして家族みんなから「今日どうしたの?なんか良いことあったの?」と

聞かれた。違和感があっておかしかったのだろう、大丈夫、違和感は三日だそうだ。

出来事が人生を決める事もあるが、どんな態度を選ぶかで景色が変わる体験を43歳で

やっと初めてしたちっちゃい話だ。

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自分を生きてみよう。