そうやって、終わっていきたいんだね。
人は疲れると休み、何かをやったらその報酬を貰おうとする。
これ自然なことだけど、その大小に関わらずちゃんと「報酬」を取りに行っているのに「貰ってない」という人が多い。
例えば「私は疲れている人だから、●●を飲む、食べる、買う」という行動をしている人。
これはそれらを楽しめているならいいんだけど多くの場合、自分で自分に「致し方ない」と何故か理由を付けて消費行動をしている。
ぐだぐだ言わないで、それが安かろうとジャンクだろうと、それをしたいわけ
だから楽しんだら?と思うがどうも、
「言い訳をしたい」らしい…
”こんなものでは、私はかわいそう”
とでも言いたげに。
たぶん、愚痴って、面白くなくって、可愛そうとでも言いたげで、仕方が無いと
いう結論に達させて「悩んでいる」事にするんだろうな。
それでいて、すっきりしないからと誰かに機嫌悪くあたってきたりする方もいる。
悩んでいる、困っている、
でも仕方ないの。
…これって、こう言うことで何かを得ていませんか?というのが僕らの解釈。
・お金が無いから仕方ない…そう言いながら小さな消費を毎日沢山しよろうもん?
・私はこんなのでもしないとストレスが溜まってこれは仕方が無いことなんだい!…ほう、それは本当かね?
人は変わらなくて済む事を「良かった、面倒くさくなくって。」と捉える事がある。
言い訳をすることで、変わらずに済むのだ。
本当に何かを変えたいときのコツは、あちこちにエネルギーを散らすのではなく
「やらない事を決めて、やる事をシンプルに」することが肝要である場合が多い。
これはなにも、やるべき事について話しているだけではない。
報酬もシンプルにしないか?というお誘い。
例えばあなたは自分へのご褒美を決めているだろうか。
それはあれもこれも買うこと手にすることではなく、本当に欲しいもの「だけ」を食べたり、飲んだり、買ったり、体験したりすること。
本当に欲しいものって、案外少ない。
コース料理で出てきたからって、
全部食べる必要も本当はない。
読みたい号数のコミックや本だけ、箇所だけ読んでしまうのだって良い。
最初はビールから飲まなきゃ…
本当はあなたの好きにして良い。
「なんとなく」と言い訳して、自分をコントロールする事を放棄していないか。
毎日選べたのに、
あなたはそうして、終えていく。
(そして終わりかけたときに気付きしかし、終わりかけたときにはもう、その坂道は下るしか無い階下の見えた路と分かってしまうのかも…なーんて想像します。)
多くの人は、「生きている実感」を持てないでいるそう。
自分の選択を手放さず、よりシンプルになり、”ボリューム”も要らず、その分じっくり一つの事を味わう事が可能になって、
『今ここで受け取っている報酬を楽しむ』在り方も選べる用意があることをぜひ
思い出して欲しい。
明日目が覚めなかったとしたら、
どうしたかったでしょうか。
それでも誰かの何かのせいにして、
目を逸らすのか。
あなたがあなたを大切に。
そして自分には本当に好きなことものでご褒美を。
それはお金のかからないものでもOK、
少しかかってもOK。
発散もいいけど、あなたらしい集約を。