なぜコーチングクラスでカメラ遊びを勧めるのか。
今日もタイトルの通り、
日頃研修ではなく非公開勉強会で実は
「カメラやスマホカメラで遊びましょう」
と勧めている。
なぜかというと…あ、わたしは写真も、
まったく腕がありません、知識もありません、
それはそれはひどいものです、あしからず。
写真を撮るのは、勝手な言い草だけど
半分はカメラ(の性能)が撮っていて、
半分は被写体(人であれ建物や動物であれ)
とのコミュニケーションや対象との関係性、
ズームに頼るだけでなくどれだけ自分が動く
(角度、向き、上下、ひきなのか、寄りか、
又は待つか)かなぁと思っていまして。
信頼関係が築けなかったり、警戒されたりは
その瞬間をとても一枚の記憶としてあらわす
ものが、"それ"かなと考えてます。
人が幸せを感じるのは、人との関わりの中で
人間関係が築かれ協力や貢献し合えた時。
何かを共にしたり自らが何かを出来るように
なったことを周囲からも「見て」もらえた時。
他にも沢山あるけど、どうやらそこに
『ひとけ(人気)』は共通してありそうだ。
だれかと会ってすぐに信頼されたり歓迎され、
受け入れられたり可愛がられたり愛されたり。
撮る際にそのトレーニングとなりはしないか。
僕はフォトグラファーでもなくたんなる
シャッターを押すくらいなら僕でも出来そうと
小学生から始めた趣味が、凡そ40年経っても
押すだけだが(笑)、この程度の私は自分の
撮ったものを文字通り「記録写真」と呼んで
いる。(あ、ジャーナリストがどうのこうの
とかまたイジワル言わないでくださいね。
本当にシャッターボタン押してるだけだから)
皆さんも記録写真でいいじゃないですか。
でも、こんな話を聞いた事があるんです。
いま撮った写真の価値は、20年後にでます。
あの時、あの人が撮ってくれてたから
残ってた。よかったね…と。
私はコミュニケーションが苦手で、
この仕事を始めました。一人くらい逆に
不得意なヤツがやってみていてもいいかなと。
でも今も不得意です(笑)。
ま、いいじゃないですか。
生涯コミュニケーションの練習を
チャレンジしながら楽しめるものをひとつ
もっていても。
コーチしていて「あぁ、この方にとっては
これが『問題(→課題&資源へ)なんだな』と
色々な角度から見ようとしてみる」在り方を
仕事中にだけするのですが、なんだかとても
役立ちそうです。
始めるのに遅いなんて事はありません。
だれかの「今しかない普通」を記録写真として
残してあげてみては如何でしょうか。