本当はどうか?を考えると、分かる。
今日も福岡で仕事を終えて、
先ほど帰宅した。
途中、駅でラーメン食べて夕食済まそうか
とも考えてみたが、帰宅して食べることに。
お風呂もいれてあった。
一番風呂でしかもとてもいいお湯だった。
浸かりながら何度も「ふぅ〜いいお湯だ」と
何度もつい繰り返した(笑)。
ごはんも肉飯だけど、外食より美味かった。
仕上げにお茶と蜂楽饅頭が出てきた。
地味だけど、自宅が一番だった。子供たちと話し、
一緒に眠れる幸せ。
幸せとは、誰かが羨むような事ではなく
今日もこうして丁寧に暮らせることだと
私の場合は思う。
あなたは一体どこへ向かっているだろうか。
そして今日一日の行動はそこへ向かっている
行動だろうか。
いまここの景色を受け入れて、
自らを否定せず目的地への直結行動を
しよう。いまを否定することに、未来はない。
今日も感謝で眠れる自分と自分たちに
okを出しながら、素敵な明日を受け入れる
許可を私は自らに出す。
明日も素敵な一日を、歓迎していこう。
おやすみなさい。
良かったら、「本当はどうか?」と
考えて格好付けず本音で自由に楽しんで
ほしい。貴方があなたに自由に生きることを許可した時、自由がやってくる。
春分の日あたりから世の中の流れがまるで
言わば時計の逆回転のように変わってきた
今だからこそ、新しい自分を楽しもう。
明日からのひと時が、より素敵な
時間となりますように。
相手がより「らく」になるように。
人やチームで仕事をする時、
「この人とまた一緒に仕事がしたいな」と思う人が存在する。
それはその人に何故そう思うのだろうか。
色々な要素があると思う…
仕事そのものが「できる」人であるという意味で言えば
仕事が早いとか、提案書などPCないしビジネススキルが高いであるとか、
配慮が行き届いているだったり。
コミュニケーションという観点で言えば
分かりやすい説明や、やりとり…リズムが合う、1を聞いてその後の理解と
レスポンスが速やかであるとか、「感じが良い」であるとか、ストレスを感じない
態度であるとか、コミュニケーションのキャッチボールができるであるとか、この人は自分の事を理解してくれているという認識であったり。
数えればきりが無いかもだけれど、その理由はきっとあるんだと思う。
人はそれぞれ価値観の違いもあるので、
相手に沿った距離感というのも
大事かも知れない。
私は時折、コーチはクライアントの学習者であるという言葉を思い出す。
この人はどんな時に成長し、どんな価値観やニーズを持ち、何がストレスに
感じる人なんだろう、どんな時に学習したり成功していく共通点をもった方
なんだろうと。
これはもし、そうやって相手と自分のインターフェースの違いを認識出来たとしたら、
どう接続していくことが可能となるか、検討できる可能性が高まると信じて居るからだ。
この人はこのあと、どこへ向かおうとしているのだろうか?
そう想いを馳せてみると、一歩下がってご一緒に眺める今後の景色がひょっとしたら楽しくなるかも知れない。
そしてもし、その人がその憧れた先へ向かう過程において「私にとっては普通の”もちもの”(知識、技術、知恵、物理的なモノ、経験、ノウハウ、情報など)だけどこの人が向かいたい先への過程に必要なものだ」というものを持ち合わせていたら、(ちょっと惜しいと感じる時もあるかもだけど)ギフトとして贈り物を相手にしようとする」のはあなたも同じではないだろうか。
人は誰かと助け合う関わりをもったとき、幸福感を感じるそうである。
ここまでは無駄に思えた”しょーもない失敗”や”無駄に終わった失態”といった脇道も…びっくりこんな所で役立つかも知れない。
無駄な発見と思っていた過去の寄り道時間が生きるかも知れない。
過去あんな地域に、家に住んでいた体験が誰かの時間をあっさり「体験しなくて済む」貢献として情報提供に繋がるかも知れない。
あなたがもっているものは勿体ぶらないで、さっさと手放してしまえば良い。
相手が「しなくていい失敗」を回避できるかも知れないのだから。
何よりも、全力で相手が楽になるような関与をして、その行動も手放す。
(してやった、教えてやったではなく。それでは「いい人」になりたいだけである)
いつも手には何も持っていない、
そんな空白に「チャンス」は訪れるから。
あなたと私の人生が夕暮れを迎える前に、これを見ている瞬間からギアを変えていきましょう。
不確定要素に立ち止まるくらいなら。
昨日は雨の中に車中からコーチ。
クライアントさんもよく聞いてみれば
実は数キロ先の江津湖からコール。
見晴らしの良い、かつ「ひとり」の場を
確保できる手段としてお互いに案外多い
スタンバイ場所が車中だったりする。
これからを果たしてどうしようか?と
考えるとき、「考え…悩む流れになって」
きたら利害関係のない心の参謀と対話する。
話せば離され放たれるために「こと」が前へ
進む。色々ひとり考えて時間が経過してしまう
くらいなら、よっぽど良い。
あなたは話し相手を、実はもっていない
のではないだろうか。
知識ばかりコレクション(インプット)
するのもいいが、いつまでたっても
「そのままではないだろうか」。
前進していこう。
本当の自分で生きるという選択。
暫く間を空けて、ごめんなさい。
嫌な予感がしていた事が的中して、
その間もずっと、そしてそれは一時間前までショックで停滞していました。
(いつも笑顔のイメージしかない知人が亡くなりまして、想定していなかったので
ちょっと動けずにおりました…でも、復帰します。)
ある統計によると、血液型でO型の人は一番、自分に期待をしていてかつ「まだ本気だしてないだけ」とちょくちょく思いながら行動に移すほんの僅かな人とは別に多くの人が「そのうち…まだだけどね。」と行動せずに人生を終えていくとあった。
僕はO型で、その通りだ(笑)。
いやいや、世間の他のO型の型も一緒にしちゃいけませんね。僕は、そうです…でした、、、という事にしておこう^^;。
本気を出す。
これはこれまでの人生にどれほどあっただろうか。
僕はこの「本気を”出す”」という発想や言葉(単語)を使っている段階で、
『待っている姿勢』が透けて見え、この段階の人はやらない気が自分を振り返って思う。
たぶん、やる人やってるひとって
「本気になる。」といまここから成りきっていくんだと、その瞬間成るんだと、
考えるように今夜、なりました。
そしてその「本気になっている経験」って実は、本当は皆にあるけど忘れている(もしくは気付けていない)のであって、それを見ていた人が居たりすると目撃者としてフィードバックしてくれる潜在性をもっているんだと考えました。
優秀なマネージャーは、
偉くなればなるほど、
年上になればなるほど、
周囲の人に「最近の自分はどう見えているか指摘してくれ」と自らフィードバックを求めに行くらしい。つまりは『自分をそのまま写す鏡を持つ』のだ。
(★ご本人に画像の使用許可を過日頂いています)
あなたは貴方のことを耳の痛いことまで言ってくれる”仲間”は居るだろうか?
ちょっと振り返ってみるといい。
ここまで築いたあなたの人間関係が、
試され(精算され)る。
そして本当に自分のやりたいことを遠慮無くブレーキ0で試そう。
人生には本当に、
「まさか」が存在するのだから。
自分をいきよう、
あなたもぼやっとしている暇は本当は無い歳なんだろうから。
胴元を間違って、自分に「てこの原理」を活かせないひと
今日はいつもよりは手短にいこう。
コーチングをどこで誰から聞いたのか読んだのか知らないが、イメージとしてコーチを受ける人は何らかの問題がある人や弱い人などが受けるものといった先入観をどこかで持っている人がやたら居る。
まったくもって違う。
本来ハイパフォーマー、
エグゼクティブに使われている。
その応用範囲が広い事から多くの多様な
立場の人々や子どもにも利活用されているだけである。
人の大きな変革は、自分がここまで信じてきたものを捨てたときに起こる。
資格、技術、経験、ノウハウ、こうあるべきだろうという信念…etc。
自分はコーチングを受ける必要はない、
という考えを持っている人がつまり(比較的)ハイパフォーマーだと思っている人が自分の常識を捨ててコーチを付けた途端に、思いも寄らなかった変容が数十日で起きている。
つまり、
・私にはコーチは関係ない
・私は今をもっと良くしたいor変わりたい (好意的な変化を望んでいる)
※not:変えたい、ではない
・時折、レースで言う「ピットイン」
を計画的にやっていない
…これらに該当する人がコーチをまさか付けてみると、昨年までと明らかに違う数十日を過ごす事となる。
これまで、色々な人とコーチとして関わらせて戴いた事で、レバレッジ(てこ)のきっかけになる場面に、ご一緒させて戴いたのは本当に有り難かった。
※てこの原理:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A6%E3%81%93#/media/File:Palanca-ejemplo.jpg
そこが
「ターニングポイント」となり、
望ましいそれらを惹き付ける事となる。
一般車両だって、
その日フル走行して明日へ備える。
あなたの仕事に、駐車場はあるだろうか。
そしてそのガレージに自分の考え方とは異なるピットクルーは居るだろうか。
コーチの私は自分のコーチ(多いときで最大同時に3名からコーチを受けたことも)からコーチングを受けている時と、馴染みのバーでウイスキーを横にシガーを一人で愉しむ時(普段は喫煙しない。年に数回シガーのみ)が、一旦立ち止まって今後を見据える機会。
あなたの人生にも、「自分との作戦会議」を備えてみるのはどうだろうか。
あなたの使いこなし方を、(実は)あなたは知って居る。
あなたも今日現在の自分を幸せに生きているので、ある意味で十分かと思いますが更に向上心を持つとしたら、
どんな人生と仕事人生にしていきたいでしょうか。
そしてそれは、
金銭面、人間関係やネットワーク、知識、能力、環境、ツール、技術(資格)…
など様々な要素の中から「本当は」何から手を付けたら良いでしょうか。
『即答で”分からない”』と反射的に反応したかのようなリアクションをする人は、
分からないと言う事で「行動しなくて済む」を選択していない事を願います。
本当に分からない人は、
「では、誰に聞けば、そこらへんのことを”分かる”でしょうか?」。
もっと言えば「分かりそうな人は?」誰でしょうか。
更に言えば「分かりそうな人を知ってそうな人」は誰でしょうか?
手っ取り早く格好良い「答え」だけを求めるのもいいですが、目の前にある資源(周囲に居る人、所属している会や職場、家族など大切なひと)をある意味で活かして基礎をしっかり固めてみましょう。
そうすると、建てたかった家(うわもの)に行程が移ったときのそのスピード感は、
心地良いものを味わえると私たちは今更ながら感じています。
あなたの基礎にあたるものって、なんでしょうかね。
「このままいくと、どうなりそうだと”だいたい皆知って居る”。」
今日の出張時に面白い光景を目にした。
エージェントさんとたまたま同じ列車の同じ車輌に乗り合わせ、隣り合わせの席に座っていると、この車輌に乗っているほぼ全員に近い人々が向いている方向とは逆の方向へ列車は進行した。
その様子を営業担当さんは
「だいたい進行方向が変わると皆が知って居るから、シートを逆に回転させるんですけどね、今日はみんなやらなかったんですね…」と説明してくださった。
僕は列車が来る前から着座までをなんとなく観察していたので、その様子から
こんな解釈をした。
…それは、春とはいえ風が少し冷たかったのもあったのか、みんな「席を確保できる」事に意識がいき、席を回転し、(逆進行で気持ち悪くなることなく)快適に移動する事までには考えが至らなかったのでは、と。
人間、焦ったり慌てると色々忘れ物をしたり見逃したり…本来の目的を忘れて手段が
目的化したりすることがある。
翻って、「忙しい私」モードの”配役”に
成りきりすぎていると恐らくそんな事態も招きかねないのではないだろうか。
そしてそのうち、余裕の無さからしたばかり見て(目下、目の前の事ばかり)、
目的地が過ぎ去ってしまい降車するチャンスを逃す事や、目的地とはほど遠い、
実は違う行き先の列車に乗っていた事にあとから気付くことも…。
目の前の事に集中する事は大切である。
がしかし、このままいくとあなたは一体どこへ行き着きそうだろうか。
ぶっちゃけ「分かっている」のに
見ない振りを決め込んでいる人もあるかも
知れない。
これは行動していない人に向けて今日は書いているメッセージ。
もし行動と改善を行っているのならばどうぞ、寄り道を楽しみながらも”偶然”の展開をエンジョイすることを提案する。
これをたまたま読んでくださった、
あなたに伺いたい事が一つ。
あなたはいま(もしくはこれから)、
どこへ向かっている(もしくはいこうと思っている)人なんですか?
一度限りの明日は保証の無い素敵な人生を、お互いに楽しみましょうね。