もうそんな事をしている暇は、ない。
昨日モスで、喫煙ルームが全席埋まっていた&駐車場が
1台を残し塞がっていた。(私で駐車場満杯)
私はたばこを吸わないので、
珈琲を注文して資料の読み込みをしていた。
すると後からのお客さんが、やっと入れた!(どこに駐車されたのかは不明)とばかりに入店されるやいなや、たばこが吸えないとご夫婦で残念がっていた。
時刻は14時すぎ。
そこに管理職らしきお店の人が「朝からずっと独占されてるんですよ…あのグループ」とお詫びをされていた。
結果、その後も入れないお客さんが幾組もいらした。
そろそろ私も次のやるべき事に移ろうと店を出ようとしたとき、彼らも出てきた。
二十歳前後の学生のようだが、なにやら共通のテーマで盛り上がっている様子。
店舗を出る際にダストボックスエリアへ各自が注文したものを捨てるのを見かけた。
全員、200円台のアイスコーヒー1個だった。
コスパ意識が高いのか、満足げに彼らは店を後にした。
お店の人は、今日、ここまでの時間に
殆ど売上が無かったようだ…駐車場が無いのだから。
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人間、いつまでもある、と潤沢に…ともすれば永遠にあるかのような錯覚を何かの対象で持ってはいないだろうか。それは時間だったり、その場所だったり、いまここの時間だったり。
今日一日を振り返ってみてもどうだろう、
あっという間に夕方だ。
さて、私たちには一体何が出来そうだろうか。
今何をしているかが未来を創る。
選択肢も、
人は無いものばかりに目が行きやすいが「ある」ものに
焦点を当て出すと如何に恵まれているかが分かり資源と
なる。
冴えない空でも向きを変えれば景色は変わる。
少しずつ、年末ムードになり
「なぜかみんなの”きもちが忙しく”なる」季節だ。
これは昨日の出来事なんだけれども、ふと思った。
今どこに時間をかけているかも大事だし、それと同時に
誰と一緒に居るか、どこでどんな人たちのコミュニティに属しているかはとても常識の基準を人によっては上下させて、言わば社会的市場価値からみたその人の付加価値は、勉強した人とそうでない人とでもの凄い格差を生むのではないかと。
そう、
今それが一人でも全体でも何を学び気付いているかで。
それによって自ずとモチベーションも
まるで違ってくるだろう。
この時間だって勉強している人、
見えない所で努力や頑張っている人がいる。
少なくとも僕は、いやなんだな、
歳をとって選択肢が無いもしくは少ないのって。
私の工夫や努力なんてはなくそだけれどそれでも、
諦めたくないかな。
お互い、睡眠不足に注意して、目的論で在りたい姿を実現して楽しんで生きましょうね。
”できたしこ”※で。
(※:できたぶんだけ)